人生は余暇

楽しむことに一生懸命になりすぎる必要はありません。

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Thinking out loud

日本では「察する」ことを要求される。

だからみんなストレートな表現が苦手だし、「空気を読め」という空気がある。

男は無口で「愛してる」なんて口にせず、背中で表現するのが美しいとされてきた。

これは仏教、または武士道から生まれた文化なのかもしれない。

人に自分の考えを分かってもらいたいという気持ちは煩悩で、世の中にある言葉のほとんどが、相手をコントロールすることを目的に発されるものだという通念が生まれたのかもしれない。これは美しい文化だと思う。

でも、欧米の文化がガッツリ入った後の現代で、この文化がかなり都合よく使われてしまっている気がする。

「発信することこそ幸せ」という承認欲求にまみれたSNSなんて煩悩の塊なのに、四六時中SNSばかり見ている奴に限って、「気を使え」とか「人の気持ちを察しろ」とか言う。

契約書なんかなくても、二人の間に愛があれば、それで良い。なら良いが、それなら結婚制度なんかいらない。

聖書というフィクションを信じ、好きでもない人にいつまでも「I love you」と言い続けて自分を騙す欧米の文化も、それはそれで問題がある。

最近は情報に溢れて嘘がバレやすくなってきたし、考えすぎる人が増えたので、自分のみを信じ、自分との対話を大切にするという仏教的発想が欧米で注目されていて、日本に逆輸入されてきている。

基本的に欧米が正しいと信じさせられてきた多くの日本人は、古くからある文化に根付いた武士道と、欧米が解釈した新しいマインドフルネス的BUSHIDOの間で混乱しているのではないだろうか。

ひとつだけ言えるのは、嘘をつかない人は信頼されるということ。

みんなが思っていることを、みんなの前で堂々と言える人が、今も昔も支持されるのだ。でも、それが難しい。