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『地球平面説』から学んだとこ

『ビハインド・ザ・カーブー地球平面説ー』というNetflixのドキュメンタリーを観た。

「地球は平面だ」という400年前までの定説を再提唱したマーク・サージェントという男と、彼の奇説を支持する人たちの話だ。自由の国アメリカが生んだアホに密着した、笑える類のドキュメンタリーなのだが、意外に考えさせられることが多かった。

もちろん、「本当は地球は回っていないんじゃないか?」などと考えさせられたわけじゃない。地球は絶対に回っている。ただ、彼がどうしてこう考えてしまうのか、ということには、考えを巡らせる価値があるかもしれない。

クリティカルシンキングの履き違え

サージェントさんの、人から聞いたことを鵜呑みにしないというクリティカルシンキング(批判的思考)の姿勢は大事だと思うし、圧倒的マイノリティな意見でも突き通して仲間を増やしたという事実は、称賛には値しないが、なかなかできないことだとは思う。

ただ、映画内の科学者へのインタビューにもあったように、サージェントさんは思考プロセスが科学者のそれとは根本的に違う(彼は科学を敵扱いしているので、当たり前だが)。

科学では、調査や観察から生まれた疑問を仮説を立てて検証する。調査・観察→疑問→仮説→検証というプロセスを踏むわけだ。納得できる。

アインシュタインも、ニュートン万有引力の矛盾に気づいて、思考実験で立てた仮説を数式で証明するというプロセスを経て、相対性理論を導き出した。

サージェントさんも、途中までは同じプロセスを踏んだ。ただ、検証の部分がすっぽり抜け落ちていて、仮説が結論になってしまっているのだ。それが彼の説が説得力にかけている決定的な要因だ。

地平線は平面にしか見えない(観察
 ↓
地球は本当に丸いのか?(疑問
 ↓
地球は丸くない(仮説=結論
 ↓
終わり(検証がない

彼の仲間たちは、いろいろな実験を通してこの仮説を証明しようとするのだが、なかなかうまくいかない。それでも、適当なこじつけで自分たちを納得させてしまう。

最初に揺るがない”定説”があるので、事実を捻じ曲げてしまうのだ。これは、考えることを放棄した姿勢=思考停止状態だ。

最強の反面教師「だって、そうだから」人間

この姿勢を反面教師として、重要なことが学べる。

多くの人は、自分のことを信じすぎている。「自分はそう思う」理由は、「だって、そうだから」という人が多いのだ。人は自分の考えを押し付けてしまいがちだが、これでは議論にならないし、技術も文明も発展しない。だから俺は、「そういうものだから」は言わないようにしている。

「自分はそう思う。なぜなら、〇〇だから」という論拠がなくては、人を納得させることはできない。

もちろん、このドキュメンタリーを観て、サージェントさんを小馬鹿にしている地動説の支持者でも、彼と全く同じ理由で思考停止状態の人はたくさんいる。絶対に。

「地球は丸い。だってそう習ったから」と。

サージェントさんの意見を否定せず、一つの意見として尊重するのも大事なのではないかと思う。結局、自分が何を信じるかで、他人は関係ない。

俺は個人的には地動説を信じる。天動説よりも説得力があるし、天動説だと成立しない現象が地球上にはたくさんあるからだ。地動説とそれを基にした科学の発展の恩恵を受けて、日常が便利になった。まだまだ詳しいことは分からないので勉強しなきゃいけないが、俺には科学のほうが納得できる。

(ちなみに、映画の中で、サージェントさんがスマホのナビを使ってNASAまで行くシーンがあった。GPS使ってんじゃん!)

一方で、サージェントさんのような思考停止状態の人の支持者が増えて、力を持ち始めると危ないようにも感じる。何せ自分の説を否定するという発想は皆無で、地動説を唱える人たちは全員敵。地動説が正しいと言っていくる人がいたら、論理では抗戦できないので、暴力に走りかねない。

今は自分たちの自己満足で終わっているし、世間も「なんかおもろい奴らだな」と関心を持っているから良いものの、世の中の関心はいずれ薄れる。そのときに、「みんな俺を見てくれよ!」と言っても、説得力がないので誰も聞かない。そうなったらいよいよ暴力しか手段がなくなるのではないだろうか。

「そういうものだから」は、逃げ

「そういうものだから」が、それだけで多くの人を納得させられることもある。それは、「そういうもの」が感覚や感情まで落ちたときだ。この感覚や感情を数式で科学者が証明することによって、それは再現性のあるものとなる。

「チョコレートは甘い。砂糖が入っているから」
「砂糖は甘い。そういうものだから」

の二段階で多くの人は「チョコレート=甘い」と納得できる。砂糖がなぜ甘いのか、人間が甘いと感じることには、どのような意味があるのか、そこまで考えるのは科学者や心理学者の役割だ。

科学者がチョコレートが甘い理由を数式で証明したとき、否定する人はほとんどいないだろう。実際にみんなが甘いと感じるから。

ただ、これが地動説となると、体感できるものではないので、否定する人が出てくる。体感できないのなら、調べて検証すればいいのだが、そうはしない。数字を使った検証そのものが、世界政府の陰謀によって作られた黒魔術だと信じているからだ。

知識がないから感覚に頼る。地道な努力による知識の獲得から逃げ、知識のない人たちを集めて知識人たちを否定することによって、自尊心を保っているのかもしれない。

直感が正しいこともある

たまに、「だってそうだから」と言って論拠を示さず、他の人達がそれを検証して初めて正しかったと証明される天才がいるが、それでも彼らは生まれてから何も勉強していないわけではないと思う。彼らの直感力は、知識の積み重ねの上にあるものなのだと思う。でも彼らは、それを証明することに興味がないのだ。彼らにとっては、「だって、そうだから」。

また、この直感力は、感情をベースにしたものが多いと思う。

「だって、楽しいから、おいしいから、悲しいから」

なんだかんだ、俺も直感派だ。迷ったときは楽しそうとか、おもしろそうな方を選ぶようにしている。人生、楽しくないことをわざわざ選ぶ必要がないから。

この「楽しい」という感覚がどうして生まれるのかを知ると、楽しく人生を送るための選択が簡単になるのは間違いないが、知っていることをするのは楽しくないので、結局は知らずに直感で楽しいことをするのは、一番楽しいのだと思う。