人生は余暇

楽しむことに一生懸命になりすぎる必要はありません。

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常田大希に憧れるけど、現状を脱する勇気はない。皆がそう思っている(はず)。

Netflixで、『常田大希 混沌東京』というドキュメンタリーを観た。

1曲の作曲過程を中心に、King Gnuの常田大希の日常に密着したドキュメンタリーなのだが、影響を受けやすい俺は、また映像制作をしたいという欲望を持ち始めた。

世の中の人は皆、クリエイターでありたいという願望、自分で一から作り上げた何かで生計を立てたいという欲望を持っているのではないかというのは俺の勝手な仮説だ。

クリエイターになりたいというのは大袈裟かもしれないが、人に言われたことだけをひたすらやることが嫌なのは皆同じだと思うし、だからこそ自分で何かを作ったり表現したりしている人達が多くの支持を得るのだと思う。

起業家、アーティスト、アスリート、俳優、作家など、人の支持を得るのはいつだって自分で方向を決めて進んでいる人達だ。

みんな、俺みたいに常田を見てカッコいいと思い、「よし、俺もやろう」と思うが、恋人や家族のことを考え、毎月支払われる給料という足枷が重くてラットレースから脱出できずに踏みとどまる。そして結局毎日ネズミのように回し車の中を走り続け、日々感じる無能感によって溜まったストレスを忘れるために酒を飲み、不満の責任を他人に転嫁するための応急処置的として上司や会社の愚痴を吐く。

そうこうしているうちに歳をとり、「この歳からやっても遅い」と、やらないための新たな言い訳を見つけてつまらない人生に甘んじ、自分が一番なりたくなかったはずのその他大勢になっていく。

俺は本当に今の仕事がしたいのか?それは分からない。でも、今の仕事で思うのなら他の仕事をしても全く同じ疑問を持ってしまう気がする。

自分で決めた何かをやることが重要なのだろうか?でもそれは趣味でやればいいのではないだろうか?

もしかしたら、サラリーマンの方が人から言われることを聞かなくていい可能性もある。

でもサラリーマンを辞めなきゃそれも比べられない。