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ダークナイト vs TENET、ゴッドファーザー vs 地獄の黙示録

走りながら落合陽一と糸井重里の対談を聞いていて頭の中が整理されたので記しておく。

落合の「クリエイティヴであることと、企業を成長させることは矛盾するのでは?」という質問に糸井は、「そんなことはない。イーロン・マスククリエイティヴに会社を成長させているし、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』だって、大衆を納得させて収益を上げつつ『メメント』のような自分の世界観も提示した」と言った。

ダークナイト』を観て、「逃げちゃいけないな」と思ったそうだ。俺も前に友達とこれに似た話をしたことがある。そいつはデザイナーで、落合と同じような意見を持っていた。「金を稼ぐこととクリエイティヴであることは相反する」というようなことを言う彼に、俺は「それは言い訳だ。どうせ俺の作品の良さは誰もわからない、と言ってしまえば楽なんだ」と言った。

それは俺のそのときの率直な意見であると同時に、やりたいことに向き合っている彼への嫉妬でもあったのかもしれない。自分が言い訳せずにやりたいことをやりながら金も稼いでいるのか問われれば、間違いなくできていない。やりたいことかどうかを考えないようにして、金のために働いているのだと思う。

ノーランは皆を納得させる映画を作ったあと、『TENET』を作った。糸井が言うには、この作品は「デカいメメント」だそうだ。コッポラの『地獄の黙示録』も同じ種類の映画だと言う。つまり、大衆にはあまり受けない、自己満足の要素の強い作品なのだ。しかし、ノーランの最高傑作は『ダークナイト』で、コッポラの最高傑作は『ゴッドファーザー』なのだ。

俺が作っているのは誰の記憶にも残らないハリウッドのアクション映画といったところだろう。規模は大きいしある程度のお金も生むが、多くの人生に影響を与えることはないような大衆向けの作品。

多くの人に伝わらなくてもいいから、自分のスタイルを通した、クセのある作品を作っている方が男としてはカッコいいし、悔いのない人生を送れるような気がする。でもそれは、単なる自慰行為で、近くの人を幸せにできないものなのかもしれない。

大衆向けの作品と自慰行為の間で、うまくバランスを取れる様になるためには、一度どちらかに振り切らなくてはいけないのだろうか?

逃げずに向き合い、俺なりの『ダークナイト』を作れるように頑張ろう。