人生は余暇

楽しむことに一生懸命になりすぎる必要はありません。

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人生という名の家

人生を家造りに例えてみる。

まず、家の作り方を学ぶ。木の切り方、釘の打ち方、ペンキの塗り方など色々と学ぶ。

次に、他の家を見て、その家がどうなっているのか、どういう構造なのかを知る。

この両方の過程で、自分も真似しながら建て始めてみる。

もちろん最初のうちは全然うまく行かない。

そこで、理想の家を建てるには、他にどんな材料が必要なのか、どんな技術が必要なのかが見えてくる。

ある程度の家を建てられるようになったら、家に女の子を呼ぶ。女の子は喜んでくれて、一緒に楽しい時間を過ごすが、他の女の子を呼ぶことは許されない。だから家から出ていってもらい、他の女の子を探しに行く。

自分の家に自信があるので、人気のある女の子に、自分の家が如何に素晴らしいかを伝えて説得し、招待する。

でも、「こんなもんか、大したことないね」と言われ、出ていかれてしまう。

自信を失い、最初の女の子がどれだけの技術と能力を持っていて、その子と一緒にいれば、自分の家をもっと大きくできたかもしれないと嘆く。

でももう時既に遅し。彼女は他の人の家にいる。

そこで初めて、自分の家がハリボテだったことに気がつく。そんなハリボテの家でも、「良い家だね」と言ってくれた彼女が恋しくなる。

もう一回、家を建て直さなくてはいけないが、どうすればいいのか分からない。

大勢の人たちと一緒に高層マンションを建てている友達をひがんだり、家を建てることをせずに野原でブラブラしている人達を蔑んで、自分のハリボテの家が一番だと言って自分を騙す。

「周りは気にせず、自分が建てたい家を建てろ」とか言われ、自分が建てたい家がないことに気づき、悩む。

周りが憧れるような家を建てたいと思い、豪邸を建てた人の自叙伝を読み、立派な道具と素材ばかり揃えるが、手は動かさない。

建て始めても、何となく完成形が想像できた時点で、「もっと良い土地があるのではないか?」と思い、途中でやめてしまう。

とりあえず、住むところが必要なので、ある程度は住心地が良さそうなアパートを建てている人達の手伝いを始める。

「アパートを建てながら、空いた時間で自分の部屋で家を建てるプランを立てよう」と思っていたが、いつの間にかアパートを建てるので精一杯になる。空いた時間で、同僚と一緒に棟梁の悪口を言いながら酒を飲む。

SNSで同級生が大きい家を自慢しているのを見て、自分が無能に思えてくる。

自己啓発書に救いを求め、「自分の建てたい家を建てろ」という言葉で一瞬やる気になるが、「自分が建てたい家って何なんだろう?」と考えながら、酒を飲んでいるうちに考えるのをやめてしまう。

一緒に住んでくれている女の子に、「もっと大きい家を建てることに集中したいから」と言って、アパートから出ていってもらう。

「もっと大きい家」のアイデアは実現することなく、またアパートの建設に戻る。

アパートもある程度大きくなり、少し有名になる。

実はサボってばかりで、大した貢献もしていないのに、合コンでアパートの自慢をし、アパート目当てに寄ってきた女の子を何人も連れ込むようになるが、一緒に住むことはしない。

そのうち、豪邸をたくさん見てきたと言う美人に出会い、惚れる。

自分のアパートが如何にユニークで歴史があり、どれだけ住心地が良いかを訴え、連れ込むことに成功するが、自分の部屋がハリボテなのを見抜かれ、出ていかれてしまう。

後を追いかけて連れ戻すが、その度に出ていかれて、それを繰り返しているうちに体力の限界が来る。

全く働かないので、気づいたときにはアパートに居場所がなくなっている。

周りに良い家だと思われることがどれだけ無意味だったか気が付き、ようやく自分の技術を磨き始める。

自分一人では大きな家が建てられないことにも気づき、他人に手伝ってもらうには、ある程度の技術と、説得力のあるビジョンが必要だということにも思い至る。

それでもやっぱり家造りに踏み出せない。

周りにどう思われるかが気になるし、棟梁に言われた通りに働き、みんなと普通のアパートを建てていた方が楽だ。

でもやっぱり、楽しい方が良い。

豪邸でも、こぢんまりした小さなログハウスでも、自分のやり方で楽しんで作っている人は、立派で倒れない、自分にとって住心地の良い家を建てる。

やりたくもないやり方で、言われた通りに作っている人は、どれだけの高層マンションを作っても、簡単に振り落とされてしまう。

ただ、何が正解かなんて誰にも分からないから、とりあえず何でも良いから建て始めることが大事なんだろう。